創業者 菊池安治
菊池 安治きくち やすはる(1932-1989)
昭和7年(1932年)、
静岡県旧庵原郡小島村
(現静岡市清水区但沼町)にて、
父:宮大工棟梁・菊池宗作の
長男として生まれる。
厳しい修行時代
15歳で父のもとに弟子入り。と同時に製図専門学校の通信教育を受講する。弟子入り3カ月目に東寿院便所を建築。
請負方式への転換
修行2年目18歳で2階屋を建築。「図面の描ける大工」として人気を得る。手間請けから請負制への転換を図り、19歳の時には弟子2人を抱える棟梁に。
昭和30年
1955年
22歳で菊池建設創業
清水駅近くに事務所を借り移転。昭和30年6月請負登録し菊池建設を創業。下請け経験後25歳で事務所移転。元請負で業績を伸ばす。
宮大工2世の本領発揮
昭和38年(1963年)31歳で睦合神社本殿(清水区)建築。以降、数多くの社寺建築を手掛ける。昭和49年(1974年) 中山法華経寺(市川市)大荒行堂建立。限られた工期の中、十分な乾燥材を使えなかったことが大型木材乾燥室の導入につながる。
昭和56年(1981年)イタリアの最新技術を導入した大型低温除湿木材乾燥室を独自に完備。現在では製材業界で常識となった木材乾燥を、建築会社がいち早く実施して話題となった。
昭和49年
1974年
石油危機が生んだ"産直"方式
昭和49年(1974年)木材価格高騰を機に全国の木材産地視察し、檜の産直方式を確立。本社を現所在地に移転。昭和50年10月「檜の家株式会社」設立。「檜の家」の販売開始。
昭和53年
1978年
陣頭指揮の東京進出
昭和53年(1978年)、立川サンシャインパーク住宅公園に「檜の家」「数寄屋」を建築。東京営業所を開設。"いい設計"、"いい材料"、 "いい技術"、"しかも安い"が反響を呼び業績を伸ばす。
木造復権の旗手
企業の急成長ぶりが注目されるとともに新聞全国紙に寄稿。木造建築の素晴らしさを説きつつ、金物偏重の建築に警鐘を鳴らし「木造復権の旗手」として講演やTV、ラジオにも出演。
創業者・菊池安治の理念を継承し、
「菊池Quality」を
合言葉にこれからも
「檜造りの注文住宅」をはじめ、
日本の木造建築一筋に
取り組んでいきます。